手段を選ばないという言葉はよく悪い意味で使われる。目的を達成するためなら悪いこともする、というふうに。
しかしながら真に賢く、目的のためにあらゆる選択肢から一番強い手段を選べる人は、悪印象を与える隙すら見せないものだ。もし道義的な印象を与えるべき相手にそうでない印象与えてしまったのなら、手段を間違えている。つまりその人は手段を選ばない冷酷な策士などではなくただのプレイングをミスったカスである。
俺はよくプレイングをミスったカスに成り下がる。自分を基準にして手段を選んでしまうのである。
例えば俺は決まりきった挨拶を非常に退屈に感じ、浅い何も考えていないコミュニケーションとみなして軽蔑する悪癖がある。「おはようございます」ぐらいはまだ耐えられるが、「最近寒くなってきましたね」と続かれると薄ら嫌な気持ちになる。テンプレで喋るな、お前の言葉で喋れと思ってしまう。「あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします」などと言おうとすると気持ち悪すぎて鳥肌が立つ。しかし世の大半の人はこれを好み、俺のように捻くれて悪い印象を持つ人はほとんどいない。そして捻くれ者に嫌われることは大したマイナスにはならない。つまり論理的にはお決まりの挨拶はするべきである。
お決まりの挨拶をしようとすると非常に気分が悪くなる。しかしここで自分の気持ちを横に置き「最近寒くなってきましたね、体調などいかがですか?」と言う手段を躊躇無く選べるか。ここが弱者と強者の分岐点である。強者は自分の好みなど二の次とし手段を選ばず好印象を与え、勝ちにいく。
そう、目的のために手段を選ばないというのは、他者に対して冷酷になることではない。自分に対して徹底的に冷酷であることなのだ。
俺は今年、挨拶をする。「あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします。」